シリーズ:大人になった今こそ読みたい日本神話と昔話「第2回」
大人になった今こそ読みたい日本神話と昔話
第2回:神話や昔話を失った民族は、本当に滅びるのか
――日本人の心の帰る場所を考える――

はじめに
物語を失うとは、何を失うことなのか
「神話や昔話を失った民族は滅びる」
そんな言葉を、どこかで聞いたことがある方もいるかもしれません。
少し強い言葉です。
けれども、一度聞くと、なぜか心に残ります。
本当に、神話や昔話を忘れただけで、民族が滅びるのでしょうか。
もちろん、神話を知らなくなったからといって、すぐに国が消えるわけではありません。
昔話を読まなくなったからといって、明日から社会が崩れるわけでもありません。
それでも、この言葉には、無視できない重みがあります。
なぜなら、神話や昔話は、単なる古い物語ではないからです。
それは、自分たちがどこから来たのか。
何を大切にしてきたのか。
どんな生き方を美しいと感じてきたのか。
自然や先祖や土地と、どう向き合ってきたのか。
何を次の世代へ手渡していくのか。
そうした問いに答える、心の帰る場所のようなものです。
前回の記事では、日本人の心は、神話や昔話、祭り、神社、季節の行事といった物語によって育てられてきたのではないか、という話をしました。
今回は、そこから一歩進んで考えてみたいと思います。
もし、私たちがその物語を失ったら、何が起こるのでしょうか。

古い本から立ちのぼる神話の記憶。消えかける物語は、心の帰る場所を失うことにもつながります。
トインビーの言葉として語られる説
このテーマでよく出てくるのが、イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーの名前です。
トインビーは、文明の興亡を大きな視点で考えた歴史家として知られています。
そのトインビーの言葉として、次のような趣旨の言葉が紹介されることがあります。
12歳、13歳くらいまでに自民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びる。
あるいは、
その国の神話を忘れた民族は、やがて滅びる。
という形で語られることもあります。
とても印象的な言葉です。
ただし、ここで大切なのは、この言葉をそのまま「トインビーが確実に言った名言」として扱わないことです。
この言葉は広く紹介されていますが、トインビー本人の著作に明確な出典が確認されているわけではないとされています。
ですから、この記事ではこれを「トインビーが確実に言った言葉」としてではなく、現代の私たちに問いを投げかける警句として受け止めたいと思います。
大切なのは、誰が言ったかだけではありません。
むしろ大切なのは、
なぜ、この言葉が多くの人の心に残ってきたのか。
ということです。
人は、自分たちの物語を失ったとき、何を失うのでしょうか。
民族や国は、神話や昔話なしに、どこまで自分たちらしさを保てるのでしょうか。
この問いそのものには、今を生きる私たちにとって大きな意味があります。
「滅びる」とは、国が消えることだけではない
「民族が滅びる」と聞くと、私たちは国が消える、領土が奪われる、人々がいなくなる、といったことを想像しがちです。
もちろん、歴史の中には、そのような形の滅亡もありました。
けれども、ここで考えたい「滅びる」は、もう少し静かなものです。
たとえば、次のような状態です。
- 自分たちの歴史に誇りを持てない
- 自国の文化を説明できない
- 何を次の世代へ伝えるべきか分からない
- 外から来た価値観だけで自分たちを判断してしまう
- 便利さや流行だけが行動の基準になる
- 先祖や土地や自然とのつながりを感じられなくなる
- 子どもに語れる物語がなくなる
これは、目に見える滅亡ではありません。
しかし、文化の内側から見れば、かなり深刻なことです。
国の名前が残っていても、そこに暮らす人々が、自分たちの物語を語れなくなる。
祭りは残っていても、その意味が分からなくなる。
神社は残っていても、そこに祀られている神様の物語を誰も知らなくなる。
昔話の名前は知っていても、その奥にある知恵を受け取れなくなる。
それは、文化が少しずつ薄くなっていくことです。
人間にたとえるなら、記憶を失っていくことに近いかもしれません。
名前も、顔も、身体も残っている。
けれども、自分が何者で、どこから来て、何を大切にしてきたのかが分からなくなっていく。
神話や昔話を失うとは、そういう静かな喪失なのではないでしょうか。
神話は、民族の「自己紹介」である
神話とは何でしょうか。
単なる古い作り話でしょうか。
昔の人が自然現象を説明するために作った物語でしょうか。
子ども向けのおとぎ話のようなものでしょうか。
もちろん、そうした面もあります。
しかし、神話にはもっと深い役割があります。
神話は、その民族や共同体が、
私たちは、こういう世界に生きている。
私たちは、こういうものを神聖だと感じている。
私たちは、こういう生き方を美しいと思っている。
私たちは、こういう過ちを恐れている。
私たちは、こういう希望を持っている。
と語るものです。
つまり神話は、民族の自己紹介です。
自分たちは何者なのかを、物語の形で語ったものです。
日本神話でいえば、そこには日本人の自然観が表れています。
太陽を尊ぶ心。
山や海や川に神聖さを感じる感性。
八百万の神々という考え方。
自然を支配するのではなく、畏れ、祈り、共に生きる姿勢。
こうしたものは、単なる知識ではありません。
日本人が長い時間をかけて受け継いできた、世界の見方です。
だから、日本神話を読むことは、古い物語を読むだけではありません。
日本人が世界をどのように見てきたのかを知ることでもあるのです。

神話は、土地・自然・祈り・生き方をつなぐ心の地図のようなものです。
神話が民族の大きな物語だとすれば、昔話は庶民の暮らしの中で育った人生の教科書です。
昔話には、難しい理屈は出てきません。
しかし、そこには生き方の知恵があります。
桃太郎には、旅立ちと仲間の力がある
桃太郎は、ただの鬼退治ではありません。
家を出る勇気。
異なる存在と力を合わせる知恵。
自分の役割を引き受ける覚悟。
そうしたものが、分かりやすい物語として伝えられています。
浦島太郎には、時間のはかなさがある
浦島太郎は、竜宮城へ行く不思議な話です。
しかし大人になって読むと、時間の残酷さ、誘惑の甘さ、失われた日々の重みを感じます。
楽しい時間は、永遠ではない。
帰る場所を忘れてはいけない。
開けてはいけないものを開けてしまう人間の弱さ。
浦島太郎は、人生のはかなさを教えてくれます。
笠地蔵には、見返りを求めない善意がある
笠地蔵は、見返りを求めない善意の物語です。
自分たちも貧しいのに、雪の中のお地蔵さまに笠をかぶせてあげる老夫婦。
そのやさしさに、静かな奇跡が訪れる。
昔話は、説教ではありません。
けれども、だからこそ心に残ります。
子どもは、理屈ではなく、場面で覚えます。
言葉ではなく、感情で受け取ります。
桃太郎のきびだんご。
浦島太郎の玉手箱。
笠地蔵の雪の夜。
そうした場面が、心の奥に残り、いつか人生のどこかで意味を持ち始めるのです。
なぜ子どものころに物語が必要なのか
トインビーの言葉として紹介される説では、よく「12歳、13歳までに」という年齢が出てきます。
この数字そのものに厳密な根拠があるかどうかは別として、子どものころに物語に触れることが大切である、という考え方には深い意味があります。
子ども時代は、心の土台が作られる時期です。
その時期に何を美しいと感じたか。
何を怖いと感じたか。
どんな人を立派だと思ったか。
どんな行動を恥ずかしいと感じたか。
どんな結末に安心したか。
そうした感覚は、大人になってからの価値観に影響します。
もちろん、子どもに物語を押しつける必要はありません。
けれども、良い物語に触れることは、心の中に静かな基準を作ります。
困っている人を助ける人は美しい。
欲張りすぎると、大切なものを失う。
約束を破ると、信頼は壊れる。
自然や目に見えないものを粗末にしてはいけない。
仲間と力を合わせれば、困難を越えられる。
こうしたことを、説教ではなく、物語で受け取る。
それが昔話の力です。
そして日本の昔話には、日本人が大切にしてきた感性がたくさん残っています。
だからこそ、子どもや孫に昔話を伝えることは、単なる読書習慣ではありません。
日本人の心の土台を、やさしく手渡すことでもあるのです。

昔話は、知識ではなく心に残る贈り物。子どもや孫に手渡したい日本の物語です。
大人になってから読み直す意味
では、大人になってしまった私たちには、もう遅いのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
むしろ、神話や昔話は、大人になってから読むほど深くなります。
子どものころには、桃太郎は単なる英雄の話に見えます。
けれども大人になると、旅立つことの怖さや、仲間を信じる難しさが分かります。
子どものころには、浦島太郎は不思議な話に見えます。
けれども大人になると、時間を失うことの重みが分かります。
子どものころには、かぐや姫は美しい姫の話に見えます。
けれども大人になると、どれだけ大切に思っても、留められないものがあることが分かります。
子どものころには、鶴の恩返しは不思議な恩返しの話に見えます。
けれども大人になると、信頼には踏み込んではいけない境界があることが分かります。
つまり、昔話は一度読んで終わりではありません。
人生の段階によって、違う意味を見せてくれる物語です。
神話も同じです。
天岩戸神話は、子どもには「太陽の神様が隠れてしまった話」として読めます。
けれども大人になって読むと、暗闇に包まれた共同体が、どうやって光を取り戻すのかという物語に見えてきます。
そこには、怒りや破壊ではなく、知恵、舞、笑い、祈りによって場を変えていく日本人らしい感性があります。
大人になった今だからこそ、日本神話と昔話は、もう一度読み直す価値があるのです。
神話を失うと、神社もただの観光地になる
日本には、たくさんの神社があります。
伊勢神宮。
出雲大社。
高千穂神社。
天岩戸神社。
熊野三山。
大神神社。
住吉大社。
春日大社。
どこも美しい場所です。
鳥居をくぐり、参道を歩き、手水で清め、静かに手を合わせる。
それだけでも、心が落ち着きます。
けれども、もしそこに祀られている神様の物語をまったく知らなければ、神社はただの美しい観光地になってしまうかもしれません。
もちろん、観光として楽しむことが悪いわけではありません。
しかし、神話を知ってから訪れる神社は、見え方が変わります。
伊勢神宮に行く前に、天照大御神の物語を知る。
出雲大社に行く前に、大国主命の物語を知る。
高千穂へ行く前に、天岩戸神話や天孫降臨を知る。
すると、その土地に立ったとき、ただ「有名な場所に来た」という感覚ではなくなります。
ああ、この物語がこの土地に息づいているのか。
そう感じられるようになります。
神話は、旅を深くします。
そして神社巡りを、心の源流をたどる時間に変えてくれます。

神話を知ってから訪れる神社は、ただの観光地ではなく、物語の舞台になります。
日本人の心の帰る場所
人には、帰る場所が必要です。
それは、家かもしれません。
故郷かもしれません。
家族かもしれません。
子どものころに見た景色かもしれません。
そして、物語もまた、心の帰る場所になります。
つらいときに思い出す昔話。
迷ったときに支えになる言葉。
神社に立ったときに感じる静けさ。
季節の行事に触れたときの懐かしさ。
そうしたものは、すぐに役に立つものではありません。
けれども、人の心を深いところで支えます。
日本神話や昔話は、日本人にとって、そのような心の帰る場所になり得るものです。
天岩戸神話には、暗闇から光を取り戻す知恵があります。
因幡の白兎には、傷ついた者に寄り添うやさしさがあります。
桃太郎には、仲間と共に旅立つ勇気があります。
浦島太郎には、時間のはかなさがあります。
かぐや姫には、美しさと別れの悲しみがあります。
笠地蔵には、見返りを求めない善意があります。
これらはすべて、私たちの心のどこかに残る物語です。
だからこそ、神話や昔話を失うことは、心の帰る場所を失うことに近いのです。

神話や昔話は、心のふるさと。どんな時代でも、自分の帰る場所を思い出させてくれます。
世界が揺れる時代に、なぜ物語が必要なのか
現代は、情報があふれる時代です。
スマホを開けば、世界中のニュースや意見が入ってきます。
SNSを見れば、さまざまな価値観が流れてきます。
海外の文化も、流行も、生活様式も、すぐに身近なものになります。
それは、素晴らしいことでもあります。
しかし一方で、情報が多すぎる時代は、自分の軸を失いやすい時代でもあります。
何を信じればよいのか。
何を大切にすればよいのか。
どんな生き方を選べばよいのか。
そんなとき、必要なのは新しい情報だけではありません。
自分の足元にある物語です。
自分の国の文化を知ることは、他国を否定することではありません。
むしろ、自分の足元を知るからこそ、他国の文化も深く尊重できるようになります。
自分の物語を持たない人は、他人の物語に流されやすくなります。
けれども、自分の文化や歴史や物語を知っている人は、世界の中でも自分の立ち位置を見失いにくくなります。
日本神話や昔話を読むことは、閉じこもることではありません。
日本という足場を持って、世界をより深く見るための入口なのです。
では、私たちは何から始めればいいのか
神話や昔話を大切にするといっても、難しく考える必要はありません。
最初から古事記の原文を読む必要もありません。
専門的な研究書から始める必要もありません。
まずは、やさしい本からで十分です。
たとえば、
- マンガで読める古事記
- 日本神話の入門書
- 親子で読める昔話の絵本
- 神社の神様が分かる本
- 地方の民話を集めた本
- 神話の舞台を紹介する旅の本
こうしたものから始めれば、自然に日本の物語の世界へ入っていけます。
大切なのは、知識を詰め込むことではありません。
「あ、この話は知っている」
「大人になって読むと、こんな意味があったのか」
「この神様の神社に行ってみたい」
「この話を子どもや孫に聞かせたい」
そう感じることです。
物語は、暗記するものではありません。
心で出会い直すものです。
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初心者向け:まずは物語として楽しみたい方へ
古事記や日本神話は、神様の名前や関係が少し難しく感じられることがあります。
はじめて読む方は、まずマンガや図解で物語の流れをつかめる本から入るのがおすすめです。
神様の名前を全部覚えようとしなくても大丈夫です。
まずは、物語として楽しむことから始めてみてください。
大人向け:日本神話を教養として深めたい方へ
日本神話をただの昔話ではなく、日本人の自然観・死生観・神社文化の背景として学びたい方には、大人向けの日本神話入門や古事記解説本がおすすめです。
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子どもや孫に日本の神話や昔話を伝えたい方には、やさしい文章と絵で楽しめる本がおすすめです。
読み聞かせを通して、日本の物語や行事、神様への親しみが自然に育っていきます。
昔話は、親子の会話を増やしてくれる大切なきっかけにもなります。
旅で日本神話を感じたい方へ
神話を読んだあとに、その舞台を訪ねてみるのもおすすめです。
伊勢、出雲、高千穂、奈良、熊野。
日本には、神話や古代の物語にゆかりのある土地がたくさんあります。
物語を知ってから旅に出ると、神社や土地の空気が、これまでとは違って感じられるかもしれません。
おわりに
神話や昔話は、未来へ渡すためのもの
神話や昔話を失った民族は滅びるのか。
この問いに、簡単な答えはありません。
神話を知らないからといって、すぐに国がなくなるわけではありません。
昔話を読まないからといって、明日から暮らしが変わるわけでもありません。
けれども、自分たちの物語を語れなくなった社会は、少しずつ心の足場を失っていきます。
何を大切にしてきたのか。
何を美しいと感じてきたのか。
自然や先祖や土地と、どのように向き合ってきたのか。
何を子どもや孫に伝えていくのか。
それが分からなくなっていくからです。
神話や昔話は、過去のものではありません。
未来へ渡すためのものです。
古い物語を知ることは、昔に戻ることではありません。
自分たちの足元を確かめ、これからの時代をどう生きるかを考えることです。
まずは一冊の本から。
一つの昔話から。
一つの神社の由緒から。
一つの神様の名前から。
日本の物語を、もう一度、私たちの暮らしの中に取り戻してみませんか。
神話や昔話は、心のふるさとです。
そして、心のふるさとを持つ人は、どんな時代の中でも、自分の帰る場所を見失いにくいのだと思います。
次回予告
第3回:神社に行くのに、神様の物語を知らない
――参拝が深くなる日本神話入門――
次回は、神社巡りと日本神話の関係を取り上げます。
伊勢神宮、出雲大社、高千穂、熊野、大神神社。
有名な神社には、それぞれ祀られている神様の物語があります。
神話を知ると、神社巡りはただの観光ではなくなります。
参拝の時間が、もっと深く、もっと味わい深いものになります。
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